飛ぶ鳥と焼かれる鳥に思いを馳せる
最近インターネットで話題になっているブログがある。
焼鳥屋の魂の叫びである。
串から外して食べるなと。せっかく一本一本丁寧に串に刺して焼いてんのに、人の苦労なんだと思ってんだと。盗聴されてるじゃねえぞと。
子供の頃なんて焼鳥は串のまま食べるのが当たり前だった。焼鳥はちょっとしたパーティーだった。
それがどうだろう。大学生、社会人と酒を飲む機会が増え自然と焼鳥が身近になるにつれ、私にとっての焼鳥は取り分ける行為を見せつけるだけの、政治の道具となり下がった。
全力で子分気質の私は、注文を任されれば焼鳥の盛り合わせをチョイスし、席に運ばれてくるや自分の箸を反対にして一つ一つ丁寧に串から外していた。外された串片手にシェアハピ?なんてやったりしてた。望まれると思ってやっていた。体に染み付いていた。
私の思考に串に鳥を刺す人の存在は一切いなかった。
しかし、考えてみれば唐揚げにレモンかけることの是非も度々話題になる。私は個人的にはレモンなどかかっていない方がいいのだが、やはり居酒屋などの場では積極的に絞っていくタイプの人間だった。
自分はあんまり得意じゃないのに、子分気質がそうさせた。個人的に注文したレモンサワーは店員に絞ってきてもらうのに、唐揚げのレモンだけは、なぜか絞ってしまう。体に染み付いていた。
唐揚げにだってレモンを添える職人がいるんだろう。今後はそういった人の存在を認め、感謝しながら鶏肉を食していきたいと思う。
ちなみに私が最近足繁く通っている日高屋の焼鳥はそういった論争を巻き起こす心配が一切ない、平和な焼鳥なので紹介しておく。
食べログより
あなたの中の、焼鳥の概念が一気に崩れ落ちる音が聞こえてくる。これも焼鳥なのである。焼いた鳥である。そしてお値段たったの170円(くらい)。
これを食べていると世界から争いがなくならないという事実や、覚醒剤使用で逮捕されたりするわけがわからない。
ただし、私の場合はシェアする必要もない一人でチビチビやっているのだが。