ヨーロッパ情勢が理解できないから自身の少年期のスポーツ変遷を振り返る
今、ヨーロッパが熱い。キムラの中でヨーロッパが熱い。
毎晩繰り広げられるサッカーのユーロ2016の盛り上がりは言うに及ばず、先週末世界中を揺るがしたイギリスのEU離脱、スコットランドがイギリスからの独立に向けて国民投票するとかしないとか、お腹いっぱいである。
ここはいっちょ、池上彰ばりにイギリスEU離脱の原因と日本への影響など、わかりやすく解説しようと思って週末勉強しようと思っていたのだが、録画していたアニメとかバラエティ番組見てたら、遠い異国に思いを馳せることのバカバカしさに気がついたので、頭の中にイギリスのイの字もなくなった。
どうせ私が解説したところで、IQと偏差値が一桁の読者様方には何も伝わらないだろうし、知りたいと思ってる人はもっと賢い解説してるサイトを見つけるか新聞とか読むだろう。
というわけで、サッカーの話をしようと思う。しかし夜中は眠いのでちゃんとユーロ2016を観れているかと言われるとNOなので、私の頭のなかのサッカーの話をしよう。
私は小学生の頃、サッカー少年だった。地元の弱小サッカークラブに所属していた。余談だが中学生では(SLAM DUNKに影響を受けて)バスケ部に、高校では(テニスの王子様になれると思って)硬式テニス部に入った。継続は力なりという言葉は私の辞書にない。
私のポジションはだいたいウィングと呼ばれるところで、調べたところ「最前線の左右のタッチライン沿いのエリアでプレーをするFW(フォワード)の選手のこと」らしい。
現代のサッカーとは違ってそんな積極的に守備に戻らず、反対側にも顔出さず、ワーワーやっているのを眺めてボールがやってくるのを待っていた。たまに一度もボールに触らず前半が終わることもあったので、ひょっとしたらいじめられていたのかもしれない。
とはいえ、そんないじめっこをフリーにしておいても安全だと判断できるのは何回か対戦経験のあるチームなので、初対戦のチームなどはただいじめられていてボールの回ってこない私も無視はできないのである。形から入ることのメリットが力を発揮した。
ある強豪チームと初対戦した時の話である。
私のマークをしていたのは小倉久寛を子供にしたような、体格のいい小学生であった。遠くで敵味方交わりボールの奪い合いをしている時に、離れた場所でいわゆる競り合いという、ボールを受け取るためのせめぎあいというか、おしくらまんじゅうみたいな状態になった。小倉と。
その後ボールは飛んで来なかったが、小倉が私の鳩尾にパンチをお見舞いして去っていったのだ。
まず、不意に鳩尾に一撃を食らったことで呼吸困難に陥った。同時に突然の物理攻撃に頭がパニック。現代サッカーであれば相手に攻撃を受けようが受けまいが、受けたアピールをするのが常識のようだが、私は実際に受けているのに、なぜか立ち尽くしたまま、審判にも監督にも、とても健全なスポーツマンシップに則ったとは思えない愚行が起きていることをアピールできなかったのである。
結果試合には負け、私個人としても積極的なフィジカルコンタクトを取らないようなプレイスタイルに変わった。ちょっとでも肩をぶつけられようものなら相手に譲り、ますますボールは私に集まらなくなった。
その後、バスケットボールを選んだのは人数が少ないので何かあったらアピールしなくても見つけてもらえるという期待があったのかもしれない。
さらにその後テニスを選んだのは確実に直接てきな暴力が発生する可能性が0だからだと思う。
テニスの王子様は大変なことになったけど。